志太泉酒造は、初代望月久作が、酒蔵を開き、望月家は藤枝の地主であった杉村家の分家として、余剰年貢米を有効に利用する役割を担っていたようです。酒名を名づけるにあたり地元志太郡の地名「志太」に志し太く泉のように湧き立つ酒を造りたいという願いを込めて「志太泉」と命名したと伝えられています。仕込み用水:瀬戸川伏流水
愛国米の見本を送ったところ、社長からは「無理」の一言が返ってきました。
「やっぱり駄目か…」でも後戻りできない所まで酒造りの話は進んでいました。
志太泉酒造には何度となく連絡を入れ、お願いをした結果、渋々蔵元からOKの返事をいただき、この時は涙が出るほど嬉しく思いました。美味しくて当たり前。何とか美味しい酒になってほしいと、仕込み時期には願うばかりの日々が続きました。
ラベル制作から商品ポスターの写真まで、沢山の時間を掛け考えました。
清水氏・中村氏が食育の授業として小学校の生徒たちと共に、さらにJAも加わり、最初は何グラムかの種籾から数十年掛けて育て、増やしてきた「愛国米」を無駄にはできない。何としても美味しい酒を造ってもらわなければという気持ちでした。
今となっては、米の収穫量も増え、人気商品となり、ビールの売れない日はあっても、この酒の売れない日はありません。
「売っていく酒ではなく、売れていく酒を造りたい」その想いが形となりました。
今は、河津桜の酵母で造る身上桜に取り組み、さらなる広がりを。